可哀想は時に人を傷つけるという現実を知って欲しい

新聞欄に「可哀想に」という言葉をテーマにしたような投稿がなされていたようなんですが、この投稿がツイッター上で、ちょっとした話題になっていました。

この投書を読む限り、本当にその通りだな、と共感してしまうことが多いのですが、「可哀想に」という言葉は、人にかけているのではなく自己満足の為に言葉を発しているんじゃないか?と思うことが自分自身も経験することが多いですね(大変なのは分かってるけど、それに打ち勝とうとしているときなんかに多い)。

可哀想は時に人を傷つける

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足をけがした6歳に息子が「僕、がんばって幼稚園まで歩くよ」と言った。
片足を引きずりながらゆっくり歩く息子に付き添っていたら、通りすがりのご婦人たちから
「あんな足で歩かせて可哀想に」という会話が聞こえてきた。

息子に妹ができ、おむつを買いに行った。
「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」と頼もしいことを言ってくれた。

任せたら「あんな小さな子どもに荷物を持たせて。可哀想に」
と他人から非難された。

息子の頑張りが「可哀想に」という一言で全否定された気がした。

「可哀想に」という人は、自分が優しい人間だと思っているのかもしれない。
しかし、この言葉は浅はかで無責任で、時に人を傷つけ、何も生み出さない。そのことを知って欲しい。

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